Episode101 長年の夢を叶える
「釈迦は悟った」が「自分は悟っていない」という認識が、自分は釈迦ではないので悟りに至れるよう頑張ろうとさせるので意味があって
「自分は悟った」という認識はその状態でとどまってしまうので重要ではないと思っています。
神も同じ文脈で
「神は存在する」が「私は神ではない(劣る存在)」であると言う認識が、可能にさせることがあるのであって
「神は本当に実在する」とか「私は神である」等の認識にはあまり意味を感じない
っていろんな宗教の人の話聞いて思った
悟りに行動は伴うべきか
支笏湖から苫小牧まで
年末の大晦日の番組
RIZIN
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